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「尊重(リスペクト)するとは?」2025年10月
哲学カフェ歴の長い方、久しぶりの方、初めての方、人文学系に詳しい方、科学研究者と幅広く集まりました。(Qは出された問い。今後も考え続けていけたらと思います) Q 研究者同士の人間関係 にみられる「尊重(リスペクト)」や「尊敬」は、社会人の関係の中にみられるものとは違う?科学者の倫理としては小保方さんのような事件を良しとしないためにも100%の「尊重(リスペクト)」は許されない、あくまで事実や論理を精査してからしか「尊重」はできない。しかし研究者同士は興味関心が異なっても嫌ったり否定したりすることなく「尊敬」し合い、協力し合っている。 ・一般社会では 逆に「尊重(リスペクト)」は感情を排して客観的にできるもので、人間関係の基礎になっている気がする。「尊敬」のほうが感情を含み、主体的に選んでする気がする。 ・そもそも「尊重」「尊敬」「リスペクト」のどれも、 日常会話 で使うことがほとんどない。ニュースや有名人のインタビューで見たり、本で読んだりするくらい。 Q実際の生活の中ではどのように表れているのか? ・日常会話の中で感覚的に 「尊敬」は自分と同じ
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2025年12月6日読了時間: 4分
「思考」2025年11月
非常に盛りだくさんの意見が出ました。「思考」に「感情」や「感覚」が重要な役割を持つと考える方が多くて驚きました。「悩み」や「AI」との関連でも盛り上がりました。 思考のプロセス ・思考の始まりには「感じる・内臓感覚・対象への反応」があって、その後「疑問を持つ(問う)」「選択肢を立てる」「理由づけする」「悩む」「選択する」といった一連のプロセスの果てに「悟り」があるようだ。 ・先に結論があって、後で理由づけをする思考パターンもあるかも。・その思考プロセスにも段階があり、知覚したばかりの具体的な思考から、イメージやモヤモヤした思いを言葉にするまでの抽象化の段階の思考まで様々ある。 思考と言語 ・思考には「言語的(論理的)な思考」と「非言語的(感情的)な思考」があるようだ。思考の言語化は人によってそのプロセスの途中でなされたり、プロセスの終了後に他人に伝える段階でなされたり、また両者の間で行ったり来たりするようだ。・言葉をあまり持たない赤ちゃんや動物もときに考えているように見える。・「冗談を真に受ける」「言葉の裏の意味を解さない」というのは、言葉の直接
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2025年12月6日読了時間: 4分
「納得するとは?」2025年9月
「納得できないことだらけ」な人たちが「あまり話したことのない大きなテーマ」に取り組みました。お互いの言葉に納得したりしなかったり、自分の内側を探りつつ、深い対話ができたように思います。濃い内容の意見が多く、この先もさらに掘り下げていけたらと思います。 似た言葉 「腑に落ちる」「腹落ち」「理解」 「納+得」で、「怒り狂っている状態/喉のつっかえを納める」「背景・理由・意図・根拠などへの疑問が解消し、欠けていたピースがはまる(得る)」感じ。 「理解」と「納得」の対比 「理解」は頭でする、「納得」は感情でする。 「理解」は客観、「納得」は主観。 「理解」せずに「納得」はあり得ない。⇔曖昧でも適当でも「納得」可能。 「理解」の中に「納得」がある。⇔「納得」の中に「理解」がある。 ⇔「納得」も「理解」もそれぞれにプロセスがあり多元的だから並列にはできない。 「納得」「理解」を混同して使うこともある。 「納得」できているとき 人に説明できるとき。 人に賛同できるとき。 意味や文脈が分かり、正しいと思うとき。 視点の変換が出来たとき。 「納得」は価値判断が必要
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2025年9月30日読了時間: 2分
「努力が逆効果になるのはなぜ?」2025年8月
「お前は意志が弱い、頑張れ」と言われ、自分を追い詰め、結局何もできなくなる現象を掘り下げました。 多くの自助グループの回復プログラム「12のステップ」の第一ステップが「問題に対し自分は無力であることを認める」なので、「頑張る」ことは根本的に間違いで、むしろパフォーマンスの妨げとなっていると思う。 自分の無力さを認めるのは自分の意志の放棄。本当に自分を動かすのはもっと大きな存在からの力。太陽の光を通して光るレンズを見て、あんなふうに自分のレンズを輝かせたいと思い、レンズにいろいろ細工をすればするほどレンズが曇って太陽光の通過を妨げてしまうように、自分の意志を強くしようと頑張れば頑張るほど外部からのパワーは力を現わさなくなる。 Q.自分の意志を放棄して何かに従えば、戦争や一部の宗教などのように、熱狂的な行き過ぎにつながるのでは? →自分から意図して自分をゆだねることを「能動的受動性」という人もいる。盲目的にゆだねるのではなく、冷静に感覚を研ぎ澄まし成り行きを見守れば、熱狂的な行き過ぎは起こらない。 Q.委ねることへの抵抗感って何?...
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2025年8月27日読了時間: 3分
「意志」2025年7月
「意志」と聞くと昔「意志が弱い」と叱られたことを思い出す、中途半端で投げ出すことがコンプレックス、という話から始まりました。体の不調からくる意志の弱さも感じられることから、「意志」は生命力とも関係があるのではないかという意見が出ました。何でもやりたい、動かずにはいられない、というような、体から湧いてくる意欲・エネルギー的なイメージも「意志」にはあるようです。 「意志」の意欲的な面は、動物的な感じがする。欲望のようなもの。 一方で「意志」の哲学的・理性的な面は、社会環境によって作られた、善意志で、自由を制限する感じが一般的に「意志が強い」というと、「欲望を抑え込むことができる」という意味になることが多い。 空腹でも隣の人の食べ物を盗って食べないのは「意志」によるもの。このような社会環境によって作られた「意志」は、人々の「意志」の総和のようなもので方向性がある。環境にうまく適応できるようにプログラミングされたもの。宗教や道徳による条件付けのような考え方もある意味プログラミングされたもの。 動物的な欲望としての「意志」も、自然環境からプログラミングされ
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2025年7月30日読了時間: 3分
「死」2025年6月
「人に話すようなものではないが」という前置きとともに、参加者さんが初めて「死」を意識した幼少期の体験をお聴きするところから始まりました。大人は取り合ってくれなかったけど同い年の親友は共感してくれた、とのこと。 幼少期の感覚と、大人になってから辛い現実と向き合った果てに感じた感覚には違いはあるものの、どちらも「無限」「未知」「底なしの無」「吸い込まれるような畏怖」など、日常生活の中のどの感覚とも違う感覚がある。哲学をやるような人は皆そういった感覚を持っているのではないか。だから「死」はいつの時代も哲学の基礎となってきた。 「死」といえば「恐怖」。この恐怖はどこから来るのか?何に対しての恐怖なのか?それは「死」そのものへの恐怖なのか、それとも「死」に至る過程に感じる苦痛に対してや、「死」によって失われるものについての恐怖なのか?死んだことがないのになぜ「死」の感覚を持っているのか? 人間は未知への興味とともに不安や恐怖を遺伝子内に持つことで危機管理ができて生き延びてきた。しかし「死」の恐怖は、科学が言う「死んで土になる」「原因はこれ」といった話や、知
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2025年7月3日読了時間: 3分
「問い」2025年5月
「問い」には大きく分けて2種類ある。一つは日常的な知的好奇心を満たしたり、単なる野次馬的な「問い」。もう一つは答えのない哲学的・神秘的・未知についての「根源的な問い」。 「根源的な問い」は、日常気づけない、人知の及ばないものについてであり、そのような「問い」を持つのは、人には未知に触れていたいという気持ちがあるからだろう。心霊現象・陰謀論・都市伝説などに興味を持つ人たちも似たような未知への興味があるのではないか。 周りを見ていると「問う」人と「問わない」人がいるように思う。「問わない」人は楽に生きているように見える。なぜわざわざ苦労して「根源的な問い」に答えようとするのか? 根源的な「問い」は自分の存在を組み上げる際の軸となるもの。生きる力を生んでいる。このような「問い」は積み重なっていき、人を成長させる。「問い」はどうやって人を成長させるのか? 10年に1回くらいのペースで深い「問い」に捕まる。 自分が「問う」のか、「問い」が来て「問い」に捕まるのか? 「問わない」ように見える人も、実は「問う」けど、他人には言わないだけかもしれない。「根源的な
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2025年5月29日読了時間: 2分
「知識」2025年4月
とても活発にハイペースでたくさんの意見が出ました。知識の定義をしてからと思いましたが意外と難しく、「知識を定義するのは不可能」という意見が出て諦めました。幅広い知識の様々な側面について出た話をざっくりとまとめてみました。 知識の種類 ・言葉も知識。体験的、直観的な情報も使えるものなら知識。 ・知識は会話、娯楽、仕事など、用途別に7分類できる。 ・AIで得られる知識と得られない知識に2分類できる…AIで得られる知識は偏りのない知識。AIで得られない知識は「AIに質問する方法」といった人間の知識で、人間の思惑によって偏りがある。 知識の必要性について ・知識はただあればいいのか?あまりなくても知識につながるツールをたくさん持っている人も別の意味で知識が豊富といえるのではないか? ・「正しい日本語の知識」は必要なのか?その価値がわかる人がいないと意味がないのでは?伝わればいいなら正しい日本語の知識はあまり必要ではないのでは? ・ネットやAIを使いこなせば専門家顔負けの知識を得られる。知識はあればいいのか?考える力は損なわれないのか?...
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2025年5月4日読了時間: 2分
「善悪」2025年3月
「実際の行動を起こす本人の意図と、善悪の判断との関係はどうなっているのか?」という問いから始まりました。子育ての悩みとして「親が良かれと思ってする行動でも実際には悪い影響を及ぼすものもある。親自身も気づいていない自分本位な思いが裏にあると思う」という実例が出されました。 それに対して「善悪は結果だけで判断するものだろうか?意図自体にも善悪はあるのでは?ある行動に対していつ善悪を判断すればいいのか?」という疑問や「ほとんどの場合は善と信じて行動すると思うが、復讐や欲望など悪意で行動する場合もある」という意見が出されました。 そして結果悪になるケースについての話が展開しました。「もし裏に隠された意図があって、それをカモフラージュするために善だと理由をつけていたとすれば、パワハラなどのように価値基準の押し付けや他者を阻害することにつながりかねないよね」という意見に対し「大人だったら受け手の責任は大きいと思う」「子供や社員は従うしかないかも」「社員なら従いつつも意見は言うべきでは」といった意見が出ました。 概ね共通認識だったのは「善悪は世間・社会・
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2025年3月26日読了時間: 2分
「理解」2025年2月
「言葉のみで進行する哲学カフェで、どこまで参加者同士が理解し合えるのか」そんな気づきが欲しくて設定したテーマでした。 まず「理解には、数学などの答えが決まっているものについての理解と、人間関係などの曖昧さが強いものへの理解の2種類がありそう」という話から始まりました。「人間関係などへの理解は同意、共感、賛成、といった言葉でも表され、誤解を許すもの。なぜなら言葉には限界があり、人間的なものは言葉で表現できないものを多く含んでいるから。分かった気になったときに知ろうとする気持ちがなくなり、理解はそこでストップしてしまう。よって人は理解し合えないことを前提に話し合うべきではないか」 そんな意見が出たところで「にもかかわらず人は社会を築けたよね」という意見や「人は理解し合えない、を前提にするのはネガティブすぎるのではないか」という意見が出ました。 「内観できる人同士が共感をもって自分の体験に基づいて話すときとても心地よいし、話し手の背景をよく知っていて信頼していたら反対意見も受け入れられるが、そうでない人の反対意見は受け入れられない、前の話者の言葉を引用
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2025年2月25日読了時間: 2分
「怒り」2025年1月
テレビで騒がれている事件を題材にして、立場の違う当事者の怒りや、当事者でない人々の怒りについて「怒りの種類にもいろいろある」という話から始まりました。立場が下の人に向ける怒りと、権力者に向ける怒りには異なる意図があるのではないかという話になりました。本能的な怒りや相手を抑えて自分が上に立つための怒りがあったり、怒ることでかえって自分の評価が下がるため、アンガーマネジメント等を通して怒りを抑える必要があるという意見が出る一方で、社会を変えるための正当な怒りやパフォーマンスとしての怒りもあり、一概に怒りの表出を抑えることは権力者の思惑にはまることではないかという意見も出ました。しかし一時的に怒りをもって人々を思い通りに動かせたとしても、その後、たまった怒りが報復などの形で噴出し、結果的にはうまくいかないような気がする、という点では参加者同士で意見が合致したようでした。
tetucafe3
2025年2月18日読了時間: 1分
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