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「問い」2025年5月

更新日:2025年12月6日

「問い」には大きく分けて2種類ある。一つは日常的な知的好奇心を満たしたり、単なる野次馬的な「問い」。もう一つは答えのない哲学的・神秘的・未知についての「根源的な問い」。


「根源的な問い」は、日常気づけない、人知の及ばないものについてであり、そのような「問い」を持つのは、人には未知に触れていたいという気持ちがあるからだろう。心霊現象・陰謀論・都市伝説などに興味を持つ人たちも似たような未知への興味があるのではないか。


周りを見ていると「問う」人と「問わない」人がいるように思う。「問わない」人は楽に生きているように見える。なぜわざわざ苦労して「根源的な問い」に答えようとするのか?


根源的な「問い」は自分の存在を組み上げる際の軸となるもの。生きる力を生んでいる。このような「問い」は積み重なっていき、人を成長させる。「問い」はどうやって人を成長させるのか?


10年に1回くらいのペースで深い「問い」に捕まる。

自分が「問う」のか、「問い」が来て「問い」に捕まるのか?


「問わない」ように見える人も、実は「問う」けど、他人には言わないだけかもしれない。「根源的な問い」は自分にとって一番大切なものであり、それをさらけ出すのは他人の前で素っ裸になるような恥ずかしさや脅威を感じる。「きっと他人には理解されないし、有益なフィードバックももらえそうにないから話す意味を感じない」人もいる。場の雰囲気を読んで軽い話題に終始するときもある。


「根源的な問い」をしないと次第に閉塞感が強くなっていく気がする。定期的に「問う」ことでマイナスな状態からいつもの自分に戻れる気がする。「問い」は自己理解やアイデンティティ確立に必要。自己や出来事を「問い」を通して物語形式でとらえ、新たな物語に作り直しながら生きている。優秀な人は一人で物語を創れるが、たいていの人は自分だけの世界にとらわれ、別の意味での閉塞感につながってしまうため、他者の意見を聞きたくなる。


「問い」を持っている人が偉いわけでもない。「根源的な問い」が「高尚な問い」とも限らない。「問わない」人にはその人なりの価値観や生き方がありそう。「問い」への接し方は人様々だと思う。






 
 
 

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