「尊重(リスペクト)するとは?」2025年10月
- tetucafe3
- 2025年12月6日
- 読了時間: 4分
哲学カフェ歴の長い方、久しぶりの方、初めての方、人文学系に詳しい方、科学研究者と幅広く集まりました。(Qは出された問い。今後も考え続けていけたらと思います)
Q研究者同士の人間関係にみられる「尊重(リスペクト)」や「尊敬」は、社会人の関係の中にみられるものとは違う?科学者の倫理としては小保方さんのような事件を良しとしないためにも100%の「尊重(リスペクト)」は許されない、あくまで事実や論理を精査してからしか「尊重」はできない。しかし研究者同士は興味関心が異なっても嫌ったり否定したりすることなく「尊敬」し合い、協力し合っている。
・一般社会では逆に「尊重(リスペクト)」は感情を排して客観的にできるもので、人間関係の基礎になっている気がする。「尊敬」のほうが感情を含み、主体的に選んでする気がする。
・そもそも「尊重」「尊敬」「リスペクト」のどれも、日常会話で使うことがほとんどない。ニュースや有名人のインタビューで見たり、本で読んだりするくらい。
Q実際の生活の中ではどのように表れているのか?
・日常会話の中で感覚的に「尊敬」は自分と同じ価値観を持ち、自分がやろうとしていることのさらに上をいく人に対して感じる。また自分が思ってもみなかった新しい価値観を提供してくれる人にも感じる。
それに対して「相手を尊重する」と言うときは「妥協する」と同じ意味で使っている気がする。
・「尊重するべき」と思うとキューっと視野が狭くなる気がする。
・「尊重されていない」と感じるときは人から大切にされていない、粗雑に扱われた、傷つけられた、乱暴にされた、誹謗中傷された、人格否定されたとき。/根拠なく「そういうことしたあなたってやっぱり駄目ね」と人格攻撃され、納得できないとき。
・本質的には「尊重」は自分の価値観にそぐわなくてもその人自身の存在を認めようという意志があるときにできる。
・法律にある「人は皆平等」的なもの。形の上だけの尊重と、精神的な尊重の二通りがありそう。「尊重」は相手の思いや価値を認める学術的・法的な言葉。それに対して「尊敬」は俗物的・感覚的。
→Q実際には「尊重感」もあるのでは?
Q子育て中の女性社員が多い課の課長さんが女性社員を食事に誘い苦言を呈しようと思ったが、話を聞いただけで何も言わなかった。これは課長さんが女性社員を尊重したの?→あえて苦言を言わないことは時に相手を尊重することにもなる。逆に女性社員の働きを重視しないことにもなるかも。課長さんの根底にある感情次第で変わりそう。
・「無視」することは「尊重」でも「尊敬」でもない。
実際の行動との関係について
Q実際に意見の異なる人と行動する際には「尊重する」「尊敬する」はどのようにできるのだろうか?
Q相手を尊敬するあまり、その人が悪いことをしても「きっと先々我々の為にやってくれているのだろう」と受け入れてしまうこともあるのでは?
Q哲学カフェでは反対意見を歓迎するが、参加者同士「尊重」し合うこととどのように両立するか?
→反対意見を言いつつも相手を「尊重する」ことは難しいけど可能。
→オンライン哲学カフェはリアルほど皮膚感覚・信頼感覚がなく誤解が多いかもしれない。
→日常会話で「あなたはあなたの意見を持っていても構いません。尊重します。でも完全に間違っています」というときは本当には尊重していないと思う。立派な言い訳にすぎないと思う。
→科学研究では統一された記号を用いてロジックを組んで論破できる。
・「忖度」「妥協」「譲歩」は悪い文脈で使われることが多い。本来「忖度」は「相手の気持ちを推し量る」という意味しかなく、そこに悪い意味は含まれていないが、政治などの場面で使われているうちに悪い意味が付与されるようになった。「尊重」「尊敬」も本来は自分を押し殺すような意味はなかったが、次第にそういった意味合いが付与されてきたのかもしれない。
今後へ持ち越した問い
Q本来の純粋な意味での「尊重」とは何か?をさらに追求したい。
Q「尊重」と「愛」の違いは?
Q「尊重」されているかいないかは相手が「納得」できるかできないかも関係するのでは?
Q「尊重」される側の責任についても考えたい。




コメント